例祭になるとうちのお弟子さんが片付けをよくしてくれますが、どこに何を片つけたのかとなると全然わからなくなることが多い。
無意識に作業してるんだね。
そういうのは修行になっていない。ただの作業。
手伝ってもらっているんだからあまりいいませんが、・・・ありがた迷惑です。
片づけたものも覚えてない人は手伝いに来ないでもらいたい。
あとで困るんです。
これは本当の弟子レベルではないからいいようなものですが・・・。なかには先行き得度希望の人もいたけどこれじゃとてもできない。こんなんじゃ御免蒙る。
世間様に弟子だと言って私が笑われる。
それでしかもかたずけたものも元の位置にももどさない。
聞いてみても「わたしは判らないです」で終わり。
お粗末窮まる。アンタが知っているか否かなど聞いていない、探せと言っているのに何が必要なのかが分からない。三流以下の答えだ。
私の頃は「すぐに探します!」以外の答えはない。あるいはだれか知らないかとすぐに聞いて回る。そんな智慧もなくどこに修行があるのだろう。
只の手伝いなら三人もいればいいので大勢こないでいい。用もないしかえって邪魔だ。
ニャンコの爪とぎも元に戻さず二階に行ったまま。困ったもんだニャア。
私は修行時代、師匠の七條袈裟を衣帯箱からだすようにいわれ、紐を解いたが入れるときにはどう結んであったか覚えていないでたしなめられました。
「へえ、アンタ、どう結んであったかも確認しないで解いたのか?」
この教えは身に染みた。