光明真言、尊勝陀羅尼、宝篋印陀羅尼など無量の罪障を滅ぼす陀羅尼はいろいろあります。
これらを祈っていても少しも変わらないという方。
何か忘れていますね。
そう…これらはまず懺悔の心あって初めて効果があるのです。
懺悔を前提としない祈りは仏教ではありえない。
准胝独部法も同じです。
だれだかスカイプで伝授が可能ですかと言う人がいたそうだけど・・・・。
そういう風では授かっても空手形でしょう。
まあ、コロナのこともあるからだろうけどそういうものではありません。
でも、懺悔と言われても罪悪感ないし懺悔の心がわからない?何をどう懺悔したらいいのか?
仏教の懺悔は帰依三宝から生まれます。
帰依の心があれば謙虚になれる。帰依は我執を捨てることと同じですから。
まず謙虚であることが懺悔の基本ですね。大威張りの懺悔はないですから。
謙虚に生きることを大事にする。これは立派な懺悔です。
故に拙寺では何事も三帰五戒から出発します。
口では「罪障消滅がしたい」と言って光明真言法だの施餓鬼だの地蔵供だのといろいろな供養法してもらいながら少しも懺悔の見られない人。それでいて効果はまだか?みたいな人がいますが・・・
それじゃ意味なさないです。