金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

仏像を祀る

色々な仏像を祀る。

私は「ああ、この御仏はその昔さぞ拝まれてさぞ活躍したのでしょう。今一度拝んで差し上げたい。」

と思って古仏を求めて修理しています。

まあ一種の陰徳行だと思っています。

 

でもそうではなくただただ「御利益欲しさ」だけに祀る人もいる。これはやたら祀っても意味がない。

形だけどんなに立派な仏像を彫って祀っても神仏の感応がなければそれまでだ。

形に封じ込められるようなものではないし、そんなものでは意味なさない。

 仏像の開眼をしたら無理にでもそこにいるとかそういうことはない。

 仏を籠にでも入れて飼っているつもりかね?

 

仏像には形は美しいが何も感応もないなあというのもあるね。

実際は奇麗なお人形でしかない。