金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

鼻巻き上げた聖天像

形あれば識ありといいます。
ですから形は大事。形あれば心ありです。とりわけ仏像はそうです。
どうもならないようなオートメーション的な粗悪な仏像は祀ってはよくない。
反対に素朴なつくりで稚拙でも手掘りの味のあるお像もありますね。
そんなわけでうちの師匠は良くお仏像の良し悪しを言ったものです。
聖天様は古来牙大きく作ってはならないという口伝がある。
ある種、凶暴さが出てくる。扱うのがむつかしくなる。
牙はゾウさんの武器だからね。刀みたいなもの。
お不動様でも怖いばかりじゃダメ。どこかに仏らしい慈悲がただよってこそです。最近のお不動様の瞋りは私憤。ただ怒っているだけ。憎しみは要らないのにね。
純粋な不条理に対する「義」の怒りじゃなくては不動明王じゃない。

この前突如あるところからお預かりすることになった「聖天様」
男天も女天もパオーって感じで鼻を巻き上げていて威勢がいい。
ただお預かりするのも聖天様に悪いのでお浴油して差し上げることに・・・
だけどこれって拝んでみると結構むつかしい部類のお像なんですね。
古い尊像にはまずこういうのはないでしょう。
最近できてきたのだろうけど・・・
ゾウさんがお鼻巻き上げているときは概ね興奮しているときなのです。
だからこの聖天様もいつものべつ興奮気味ですね。
預かってほしいという人は「この尊像祀るとよいことがない」という。
元来、聖天様はお像はやたらまつっちゃダメなものです。
供養できないなら祀らないのが原則。
ありていに言えば聖天供できないなら祀らないほうがいい。
そういうものです。
それにもましてこの尊像は気むつかしい。
興奮しているので些細なことにも過剰に反応する。
祀った人はさぞ逐一怒られて大変だったろう。
気に入らないことがあればすぐにそれが現象になる。
こういうのはご利益がいいというよりお罰のほうが早いのです。
些細なことでもお荒れになる。
牙大きく作るな!というのもそういうことです。ハイ。

※追伸
先ほど尊像の預け主様からお電話があり、このブログ見て聖天供を自分でもしようと思うとのお話を頂きました。
この方はご僧侶で伝法灌頂もとっくの昔に終えた方ですから聖天像をお持ちならそれがベストですね。。
浴油の方は古来からの聖天様の霊場にお願いして、とりあえずご自分は花水供をなさりたいということでした。
めでたし。めでたし。
ひょっとして聖天様はそこにこぎつけたかったのかもしれません。