聖天様で尊像で金天(純金で作る尊像)が一番良いとは昔からよく聞く。
まあ、材質本位でなくそれだけ尊天に尊敬の念を措くということだとは思うが・・・
私が若いころのこと、あるお寺で金の聖天像が昔盗まれた。
それで代わりの仏像を作りたいがどんなものかという相談が師にあった。
仏像を作る相談なら仏師だろうがそこはやはり聖天像のことである。
聖天行者にも聞こうということであろう。
師匠は「いやそれは何としても戻るよう祈るべきで、戻らないままお金に任せて作ってもそれは駄目だ」と言っていたのを覚えている。
この話を聞いても金に任せてよいモノを作ればいいということではないのは容易にわかる。
師匠はそういう人で信者さんが電車の中に輪袈裟と念誦を置き忘れてなくしたと言ってもまず探せと厳命した。
じゃあ代わりを授けるなどとは決して言わなかった。
輪袈裟も数珠も2000円か3000円でおいていたがそういう風であった。
金属像なら純金製がいいというが師匠は本当にいいのは木天だと言っていた。
それは丹精込めて彫るから。浴油像は別にすればいいと。
実際本尊の聖天は木天というお寺は少なくない。
勿論、木天でも金天でも集客目的に作製を考えるのは邪道だが、できることなら一番良いもので尊天を作りたいというその気持ちこそが、尊天に感応するのは確かだろう。
しかし、同時に金天は有難いが障礙が強いともいう話を聞く。
そう聞くと良くも悪くも行者はもちろん信じる人の意識を金天は増幅するのだろうか・・・
昔から金に魅了される人は多い。まあ、それを考えると金自体にも一種の魔力があるのかもしれないと思わないでもない。