金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

納め万霊総供養の感応その5  善龍庵

 

竹林に小さなたけのこが一本生えてきた時、もうその背後には春が来ている証拠である。

 

一人の真言念誦を志すものいれば、その背後には無数の仏天の大悲護念がある。

 

そして、その唱える真言は宇宙法界へと響き渡るのである。

 

故にたった一人と侮ることなかれ。

 

 【ここからいただいたメール】


大森先生
 
いつもお世話になっております、大阪の〇〇です。
先ほど納め万霊総供養の最終日のご供養を終えました。
この度もお世話になりありがとうございました。

まずは先にこの一年お世話になったことの御礼を先に申し上げさせて頂きます。
数々の貴重な体験をさせて頂き本当にありがとうございました。
2021年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
少し長くなりますが以下今回の体験談です。
 
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今回28日からご供養を始めたのですが、
「報恩謝徳の際は神仏に感謝の念を持ちながら唱えると良い」とのアドバイスを実践したく、
そうすると神仏以外のご供養対象も自然と対象として頭に思い描くようになり、
実際に臨んでみて、初めてどなたかを供養すること御礼することの大変さに思いが至る様になりました。
(今までは次第通りただ読み上げてるだけだった様に思います)
 
今回はこのご時世、明日はわが身という思いが強く、
路上生活者でお亡くなりになられた方を供養に加えるさせて頂いたのですが
実際に祈り始めて、改めてそういうお立場お一人お一人の人生の重さに気づき
自分がご供養なんておこがましいテーマだったと若干後悔の念がわきました。
 
ですが自分で申し込んだ責任がありますし、
先生の真言の力を信じなさいというアドバイスを思い出して、
自分はちっぽけでも真言には力があるからと勇気を奮い起こして、
路上生活という不本意な運命を辿られた方に
人生の先輩として敬意をもって本当にわずかな供養ですが、
真言の力を信じて今回お唱えしました。
 
そのせいか同じ日、地蔵菩薩真言を唱えた時に、
何故か初めてお地蔵様に「厳しさ」「怖さ」を感じました。


お地蔵さまは六道を巡って衆生を救われると聞いたことがありますが誰かを救おうとすることは生死を彷徨う患者の手術をする医師の横顔の様に
とても厳しい側面があると教えられたのかもしれません。
 
 
29日に印象的だった出来事は仏慈護真言を唱え始めたると
何か「もっと。もっと。」促されている気がして気が付けば300回まで唱えていたことです。
どなたか日頃お世話になっている方がそばにおられたのかもしれません(笑)
 
30日は光明真言を唱え始めてみると突然あまりに軽々・楽々と真言が口から出てくるので
「供養対象1件ずつに対して100回ずついけそう」と何故か急に思い立ち、
実際にやり始めたのですが、500回を過ぎたあたりから喉が疲れ始めてペースも落ち
すべてやりきる700回目にはふらふらになってしまいました。


己の力量を見誤ったなと思いましたが、沢山唱えられたことは良かったと思っています。
 
31日本日は昨日の反省から光明真言は喉の調子をみながら500回までで止めて、
全体のバランスをとること、あとは報恩謝徳の際には心のなかでありがとうございますと
なるべく唱えることを心がけました。
 
以上がこの3日間の出来事でした。
 
ふだんのお勤めでも光明真言は出てきますが、
日頃は光明真言をたった7回唱えても、恥ずかしながら「長いな~」と感じる様な怠け者ですし
お地蔵さまの真言も唱えていても優しいほっこりしたイメージしか浮かびません。
 
やはり大森先生の元で色々な体験をさせて頂けるのは、
怠け者の私には内容に及び腰になるけれども同時にまたチャレンジしてみたくなる
得難い経験です。これからもなにとぞご指導お願いいたします。

 

 

お知らせ

1月10日日曜日からの施餓鬼供養の申し込み締め切りは、本日1月6日水曜日までです。

 


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