20代後半だが、町で声かけられて阿弥陀仏を信仰する団体に連れていかれて、観音信仰をしていると言うと「観音だって?そんなものなんですか。観音なんて最低のカスみたいなもんだ。」と小馬鹿にするように鼻で笑われた。
それで「ふ~ん。観音様は阿弥陀様の補所を務める大眷属だよ.それが本当にカスみたいなものだというなら阿弥陀様も大したことないね。弱将の下に強卒ナシだもの。観音様がカスだから信仰止めろというならやめてもいいが、親分の阿弥陀様も同じようなカスだろうからやめとくわ。」と言ったら、半泣きになって火が出るほど怒って驚いた。
人を馬鹿にした物言いするならそんなくらいの返しで怒るなよと言いたい。
プンプクリンに怒ってるのほっておいて玄関から出ていこうとするとむこうから教団の人が来て「お帰りですか?」と言うので「はい、いや~今日は有り難かった~!」と言ってニコニコして旨い事逃げて帰ってきた。
とはいえ、本当は私はどちらも有り難いと思っています。阿弥陀様、悪口言ってゴメンナサイ。
密教でも阿弥陀様のことを記した無量寿儀軌を見るとやはり多分に死後の救済が説かれている。
無量寿儀軌には千手観音も出てくる。
読んでみたら阿弥陀様に対して現世のことはやはり観音様の領域のようだ。
阿弥陀様があって観音様があり、観音様があって阿弥陀様があると言うべきだ。
両者は働きの次元の違いでしかないと私は思う。どっちがは成り立たない。
だから観音様の霊験が確かならば阿弥陀様の誓願も厳重なる証拠だし
阿弥陀様が有り難いなら観音様だって頼りになるのだ。
私はそう思っています。