今日は友人のお母上の葬儀
御葬儀の宗派では塩を使わない。
この宗派では塩を用いることは死者の穢れとみる差別だと教えているという。
御法話でも御導師がそういうお話をされた。
なるほど死体は腐敗するからやがて穢れたものとなろうが、死者自身を穢れたものとみる必要はないだろう。すでに多くの経文が唱えられ、加持されていわば聖別された存在なのだ。
でもこの考えは勘違いしているとしか思えない。
こういうことを言ってもその宗派の人には馬の耳に念仏だろうが、わたしは塩をまくのは死者が不浄だからとは思わない。
古来続けていることにはそれなりの意味があるのだ。
それを現代的解釈でとりやめて得意になっているのは私は感心しない。
それではなぜなのか?
霊的に悪いものを会葬者に寄せ付けないためだと思っている。
死者が出ればその崩壊する肉体の気を吸いに多くの鬼神が集まる。
それは仏典にもみられる。
だからその影響を割くのだ。
ついてこられてはかなわない。
勿論塩の効果は仏典にはないが、これは日本人の霊的知恵である。
そもそも亡くなられた人の棺に「刃」を置くのも除魔のためだ。
塩には簡単だがそういう除魔作用がある。
私的は日本の呪術においての塩は調伏、水は息災、米は増益と思っている
最近は塩を用意してくれない斎場が多い。
安いものだから家にもあるし、つけてもらわなくてもいいのだが、そうなると忘れずに電話して自宅で用意しておかないと言けない。
私自身はだれが差別と言おうがどう言おうがそういうわけで塩は使います。
人様が使わないのは私の預かり知らぬことだが。
意味も分からず最近やたらすぐ差別に結びつけて考える傾向。
それ好きじゃないな。
被害妄想的にすぐ反応するようで愚かしく大嫌いだ。
同調しないと差別主義者と思われて恐れるんだろうけどね。
今の人は「差別している」とつるし上げられるのをひどく恐れるから。
怖れるあまりロクに考えずに首を縦に振っている風潮もある。
何時の世の中にもそういう人はいる。
そういう性格の人が結局、戦争中は戦争推進の急先鋒だったんだろうね。
戦争に懐疑的な人は「非国民」だとつるしあげる類だ。
わたしは良く理解できないものには世間がどう言おうが断固同調しません。
私に言わせれば「葬儀ので塩を使うものは死者への差別をしているのだ」と言う発言こそ無知で短絡的な差別だ。