金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

バカだったから進めたと思う。

 

最近ポチポチ弟子になりたいという方が訪れる。

年齢も性別もいろいろだ。

行者になりたいと言うが、思い切ってその世界に飛び込む勇気はない。

そういう人は多い。

 もちろん無理やり飛び込んでらっても、文句を言われても責任は一切はとれないから飛び込まないでもらいたい。

人生にはいちいちやり直ししてるほどの暇はないのだから。

 

だが、一方で保証を求める修行など修行ではないと思っている。

 

   参考になるかいなかわからないが私の話をしよう。

ポチポチ安全に行きたいという気持ちはわかるが、専門家とは何の道であれそう甘いものと思えない。

芸術でも芸能でもスポーツでも武術でも料理でも園芸でもそうだ。

安全株を買いたいなら一切そういう道には踏み込まぬが良い。趣味でとどめるのが一番だ。

 

昔、私の父が私の将来を心配してくれて師匠に会いに行った。

実際は父は私に自分の経営していた会社の跡を継ぐか、ある政治家の秘書に押していた。

正直コイツはバカかと思っていただろう。

タクシーの運転手さんからも「お父さんのあとやらないの?それが絶対いいと思うよ」といわれた。親父がこぼしていたともいった。

「黙れ。あんたなんかに何が判る!」とは言わないが有体に言えばそう思った。

 

さて父が「うちの子供は先生のような道に行こうとしていますが一人前になれますか?」ときいたら師匠は「知りません。そのようなことは分かりません。」と言われた。

 父は呆れて「お前どうするんだ!お前の師匠は知らないと言ったぞ。」と言われたが、辞めなかった。このことがあってか父は「お前は一つとして俺の言うことを聞いたためしがない」とよく言ったものである。

 

別に自信があったわけではない。目算もない。

なにもない。

覚悟だけがあった。

ここでそれを聞いて逃げては負けだと思った。

ここで負ければあとの人生はすべて負けの延長だ。

そう思った。それだけだ。

別に私が人にすぐれているからではない。

逆だ。

なぜならほかに一切とりえもないただのバカだったからだ。

今だってただのバカだ。少しも変わらない。

だがそういう人間だけが生き残る世界もあるのだ。

いささかこの道で人を育てて来てそう思う。

私に子供はない。いなくて幸いだ。

たとえ希望が絵描きになろうが役者になろうがパンクロッカーになろうがおそらくとめないだろう。貧乏になろうが成功しようが本人が選んだ道だ。

 

祈祷行者も同じだ。

利口者ならこういう道はくれぐれも選らばないことだ。真実そう思う。