仏道修行において禅や観法が進むと頭部が隆起する話はしばしば聞きます。
この前、お施餓鬼で有名な大森先生が見えたけど、おつむが盛り上がっていた。
頭を短くしているのでよくわかる。
脳がある部分を集中して使うから発達して変化するのかもしれません。
普通は頭頂葉は全身の感覚が集まるところとか言うようです。
そういえば密教の観法はトータルに全身が対象です。チャクラだの背骨だのをヨーガや道教の小周天みたいに特出してイメージしない。
空理に基づくので身体の部位を特に意識する方法は用いないのが特徴です。
仏画によっては行者さんが描いてある。
これ「行者、閣前にあって礼拝す」ということになっていて観法のうちです。
施餓鬼でもやりぬけばやはり同じよう験が現れるものと見えます。
普通のお寺は年に一回くらいしかしないけどね。
大森先生が頼まれている施餓鬼は半端じゃない数らしい。
施餓鬼も「観法」です。大森先生はことに緻密な浄厳和上の次第を使用していると言います。それを繰り返し繰り返しする。
ちなみに仏教では「瞑想」と言う言葉は本来は用いない。「観法」といいます。
それじゃ通りが悪いから「密教瞑想法」とか言うだけですが。まあいってみればあれは俗語です。
お施餓鬼の観法はまず、お食事ができるようお供物絵お加持してあげる。
おなかを満たした餓鬼がお経や陀羅尼の法施を受けることにより、醜い鬼の姿を脱し、喉が通ってお食事ができる。
業障を解消し有縁のお浄土に旅立つ姿を観想するのです。
これを繰り返し繰り返し思う。
これも世間的に申せばやはり瞑想修行でもあるのです。
餓鬼は観念により自縛されている存在なので行者の観念にうまくリンクしていけば解き放てるのです。
お前の頭はどうかって?
いやいや、全然ダメですから有髪でごまかしているんです。(笑)