金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

私の野狐禅

今日は久しぶりに少し座った。

 

若いころからチョコっと真似事程度しているが、どこまでもどこまでも無明のようなものしか見えない。しかも最近ますますそうなる。

 

霊狐さんは「なら無明を見たらいい。無明が判れば真如も又うかがい知れよう。」

私「それでは無明と真如と相対的な存在でしかなくなるのでは?」

霊狐「智慧の働きとしても真如は相対的なもの以外何物もないぞ。」

私「それは真如の体得ではなく、ただの智慧の働きでは?」

霊狐「智慧の働き以外何がある。無明を知れば法性に至る。ほかに真如などない。」

 

霊狐「不可得!」

  「この無明こそ荒神であり智薩埵だ。笑えば中台八葉の尊というではないか。」