最近、私の知り合いがある霊場に熱心に月参りに行くのを再三止める人がいて不愉快極まるという話を聞いた。
理由はなんでだかわからない。
その方、親しい人なのかと聞けば、まるきり知らない訳でもないが・・・
別に親しくもないし、友達でもない。
特別な大切な存在と思ったことなども全くないというお話。
・・・・その霊場に恨みでもあるのかな。
新宗教かスピ系かな?コロナだからかしら?
いずれにしても不愉快だしめんどくさいからもう相手しないという。
そんなこと他人さまから言われるおぼえはない!
ごもっともなお話です。
私の場合なら黙っていない。木っ端みじんにしてくれる!
ま、、幸いこの人私みたいな狂暴性はないので。(笑)
まあ、月まいりと言うのは障碍がでるものです。
これも行ですから業が出てきますね。
だから本当はこれも業の消えゆく姿です。一種のマーヤーです。
尼蓮禅河畔における釈迦の成道の前みたいのです。
でもお釈迦様だけの話じゃない。
そんなハイレベルなものではなくても小さな、小さな日常レベルでもそういうことは起きている。
心の成長の前のセーヴがかかるんですね。
霊や魔物や幻覚でなく、現実の物事や人だってマーヤーになるんです。
マーヤーの正体は自分のカルマだからから決まった形もない。
あらゆるスタイルがある。
それを乗り切ってはじめて前に大きく進む夜明け前。
それこそ修行。
勿論、そんなことで進むのやめちゃダメですね。