生霊にやられてるという人は多い。
昨日も霊能者に見てもらったら生霊が来ているという方の相談。
私たちはいろいろな念のなかで生きている。だからそれが生霊の形として見える人もいる。
ひとつの想いでさえ宇宙の隅々に飛んでいく。天台教学で言う「一念三千」だ。
それらすべてが影響してくるといえばそうだが、実際にはダイレクトに影響するものばかりではない。
見えるからやはり生霊であり直ちに追い払わないとと思うのは性急だ。
発信しても受信しなければ影響はない。例えば携帯電話をかけても相手が持っていなければ出ないだろう。
同じことだ。
携帯電話に出てしまうというのは気にしているから出てしまうのだ。
その想いは罪悪感だ。
それでなかにはこちらから電話してしまっている人もいる。
ハッキリ言って悪いの自分ならば懺悔するほかはない。それが正しいことだ。
ほかにはありえない。
生霊だから悪いとは限らない。生霊を飛ばされる側が悪いことも多い。
だが悪人ほど罪悪感は薄いのでシロウトが我流の呪詛などしてもそれは無駄なのである。
逆に受ける側。電源をオフにしておけばいい。
要するに受けるのは電話に出るのと同じだ。罪悪感にはまるのはオンにしておくことだ。
罪悪感など役にたたない。罪悪感は実は自分は非がない人でいたいから出て来るただのいいわけだ。
トラブルに言い分の無い者はいない。だから厳密に言えば非は両方にあることが多い。
ただ分量の問題だろう。
だが戦わざえるをえないと決めた以上は罪悪感はいらない。
それは戦いに勝ってから考えたらいい。
生霊など気にしていたら戦う前から負けてしまう。
生霊を追い払うのは実は簡単だ。
決然と 「お前にここに来る権利はない。去れ!」というのみ。
問題はそう言えるか否かだ。