懺悔は大事だ。
それは自分の過去を恥じること以外のなにものでもない。
懺悔は入れられるべきもので「瞋恚不受懺戒」というものもある。
でも、この記事書いてたら小山田氏はこんなことしていましたよ!許せない‼「という記事を教えてくれた人がいました。
たしかに読んみたらこれはいじめでなく、もう犯罪ですね。
それで私も懺悔して前の記事を訂正します。
私は記事にイジメというから単に罵ったり、叩いたりしたのかと思ったが、これはかなりひどい悪質で変態的な虐待であり犯罪です。迂闊なことを書きました。
この人自体がある意味、異常者なんでしょう、心理的にはコンプレックスを相手に投影してそれを滅ぼす行為をしていたんだね。
大変卑小な人だ。
大乗仏教のテーゼでは当初言うように「懺悔は入れられるべき」とは思う。それは変わらない。
人を百人殺しても懺悔自体はいれられる。
だがペナルティや罰が無くなるわけではない。
むしろペナルティや罰をあえて受けねばならないとする心こそ懺悔だろう。
この人が、懺悔し反省しているというなら、まずこのような晴れがましい役を辞退して、相手もしくは親族を探し出してでもまず詫びに行くことだと思う。
或いは今後は継続的に障害者の福祉に寄与して罪を滅ぼすとか言うことでないと懺悔しているとは言えないだろう。
まずは開会式の作曲費がもしも入るなら障害者施設に全て寄付したらどう?