先祖はわれわれが植物とすれば根っこです。
先祖供養、お施餓鬼などをして先祖につながる。それ、根のある人生ですね。
逆は根のない人生。
根のない人生は一時的に栄えても切り花のような人生に終わる。
根は隠れて見えないけど大事です。
むかしの名家は皆これを知っている。
今の代になって無関心になればやがて花は枯れます。
花が枯れれば実のある人生にはならない。
北陸に行くと古くからのおうちは真宗さんの檀家・門徒宗が多い。
ことに歴史ある古いおうちでは大きく豪華な仏間のあることも多い。
今の真宗は急速に現代的な理屈に固まってしまって、話を聞けば往生もなければ、追善供養もなにもいらないような始末。葬式だって究極いらない。
現代の真宗の坊さん御話し聞いてるとなんかやってることと矛盾だらけに思ってしまう。アホな私には理解不能だ。
だってすべての人が極楽にもう行ってるんでしょ。
私の管見(拙い知識の範囲での意見)の限りでは親鸞様はそんなこといってないと思うけど・・・
でも北陸の旧家ではそういうことは別にして毎日シッカリ勤行して先祖の冥福を祈ってきた。何宗だろうがそういう気持ちは届く。何宗だからいい悪いではない。
もちろん真宗が悪いわけではない。ここは宗派はどうでも同じ。
大事なのは宗派などより先祖を思い拝む心です。
…だからそういう家は残っていますね。