年をとっても祈禱力とは衰えないものかという質問がありました。
もちろん寝たきりになってしまうとか病気になってしまえば祈祷どころではないでしょう。
そうなればもう自分が拝んでもらいたいくらいだもの。
ただ、祈祷自体は念力とも無関係だし、力む必要もない。
淡々とやるべきことができればできることだ。力を抜く。
だから年とってもできる。60や70で健康ならまず問題なくできる。
80.90の達者もいる。
西陣聖天の御先代は90歳台で浴油をしておられた。
先の善光寺大勧進 石塚猊下も80台まで浴油された。
年取ってできないというのはやり方が間違ってきたということだと思います。
根性や気迫もむろん必要だ。
だが祈願は気合と念力込めて鬼瓦のような顔で祈らないとダメだと思えばそうなる。
むしろそこらへんが分かるのに時間がかかる。
信仰が強ければ大丈夫かと問われるが、この信仰が強いという言い方は正確ではない。信じるという思いは強化しようがないからです。
力もうが歯を食いしばろうが信仰など強くなるわけがない。
逆に聞きたい「信仰を強く持つのにどうするというのか?」
「ああ、本尊とつながっている」という体験が一番大事なのだろうと思います。
体験なくして信念が強まるわけはない。
一回それがあれば後はそれを胸において祈ればいいと思う。