金剛般若経は理趣分の難解さとは対照的で下し読みにすると「そうなんだ‼」とハッとさせられる部分も多いお経です。
無論、般若の難解なことは頭脳的理解の及ぶ枠の外ですが、頭の及ぶところでの気づきもあります。
理趣分はザックリそういうのはほとんどない。
なので解説せよと言われてもわかりやすいお話は無理です。
わかっている人に言うとわかるというようなもん。
わかんないひとにはいってもわからない。そういう世界。
でもまあ、お経にも向く向かないがあると言っては恐縮ながら、この前遷化された善光寺大勧進の瀧口大僧正などは、理趣分の代わりに何回か読んでみたけど、ぴんと来んなあ…と言われていた。
ピンとこないというのは「分からない」という意味ではない。
理趣分のような鋭い霊験が感じられないということのようだ。
理趣分はお経の中には陀羅尼があるし、密教的作法も完備しているから「祈禱法」としては、ものたりなさはあるかも・・・。
瀧口大僧正は祈祷の達者でしたから。
でも初行の方には内容的に非常に大乗理解の一助になるので少しお弟子さんや篤信の方に読んでもらおうと思って和文のものを取り寄せました。
中国では般若心経以上に読まれ、唐代にはその霊験をつづった「金剛経集験記」が知られています。
つまりご利益のあるお経として篤く信仰されてきました。
山岸乾順師の名著「鎮宅霊符神」には金剛経守護の八大金剛の霊符が載っています。
家宅を治める「鎮宅祈祷」に使うもの。それの祈祷作法までは載っていないけど当然「金剛経」の読誦でしょう。