霊感者という資質はとかく、感受性が鋭いので色々なものを感じてしまう。
頭の中も常に想念がやまない人が多い。
だから例えばそういう人が病気で寝ていれば病気以上に想念が乱れて苦しむ。
心が壊れた受信機のようななる。
様々な余計なわけわからぬ観念が交錯し、そうした妄念が苦痛と結びついて精神的にも肉体以上のダメージをこうむる。必要以上に苦しむのだ。
だが、日頃から止観(坐禅)によって雑念を去る修行をしておくと、この失がなくなるし、精神的にもタフになれると思う。
なぜならそれは心を空(から)にする修行だからだ。
霊感者というのこころが空(から)になることがひとつもない。
坐禅をさせれば、何が見えたのかにが聞こえたのと言ってくるがそういうのはすべて妄想だと言って離れるように指導する。
霊感ということが分かっていない指導者側が面白がって、逐一そういう話を聞いたりして感心していては話にならない。
徹底無視だ。
だが霊感のある人はおのれの感覚を誇り、そのような修行を軽視して「そのままの自分」でいいと思っている人が多い。
だから霊感者などと言うのは最も指導しにくい。
己が頼りで指導にならない。したいことしかしない。
密教などはさせないで止観などの修業が重要だ。
心を空(から)にすること。
まず心が空(から)になれないものはその先は無理だ。
厳密には微細な意識はこころの奥で常に働く。
それは決してやまないので本当に空にはならないのだが、それでも認識に上る心の「海面」は空にしないといけない。
心を自ら支配できねば修行にはならない。いかなる修行もそうだ。
歌がうまいと自負してもいきなり歌手にはなれない。同じことです。