理趣分1000座を顕教コースとしていますが、今までの間で終わった人は一人だけ。
残念ながらあとは授かったのみでもう何にもしていないようなのが実情のようです。
1000座と言っても基本密立てではないから印らしいものもほとんどない。読むだけみたいな簡単なものです。
それでもこの有様。
終わった人は三年ほどで満行されていますからほぼ毎日やったんでしょう。
このようにやる人はさっさとやるもんだ。
やらない人はまず「都合が、時間がどうのこうの」と言ってやらないのがお定まりです。
是非、是非やりたいとか何とか言っても所詮この程度です。
これを見てもいかに伝授してもやる人間がいないかという証拠です。
想定の内ですから驚きもしない。
まあ、とはいえやってもやらなくてもが本人の勝手ですからなんにも申しませんし、私自身、痛くもかゆくもないといえばそうですが、一つ授かって止まっている状態では次はあり得ないのが掟です。
コメントは「どうであれ、まず黙って千座やってください」というほかは何もない。
逆に言えばどうしても行がしたいというなら理趣分1000遍読誦やらしてみれば本気かどうかよ~くわかるというものだと思います。
その点、密教コースは本気な分まだマシです。(笑)
本山の足掛け8日の講習を毎年受けると三年で権律師への昇級が可能ですが、うちではこれが終わらぬ人は辞退させています。
なお、準教師のレベルでは葬儀はもちろん、祈祷なども禁じられています。