よく、忙しくて自分を見つめる暇がないとかいうが…自分とはその働きそのものだ。
その忙しいのが自分だ。ほかに自分はない。
体の働き、脳の働き、心の働き。
それを密教でいうなら身口意の三業だ。
己の身口意などではない。
身口意が己なのだ。
私のカルマではなく、カルマが私なのだ。
ほかにはなんにもない。
人法二空とはそういうこと。
この体が自分だというのなら死んで体さえあればあなたはまだそこにいると言えようか。
いいや、もうそこには誰もいない。
だから切り刻んでも痛くない。火葬にされても熱くない。
からだは借り物だ。