身口意の三つ。普通は三業。その三業が三密になるには口に真言。身には印相、意に観想というのがいわゆる三密。
従って三密成就の人となるには日ごろの三業の在り方にあるといってもいいと思います。
口に良き言葉を語り、身に良き振る舞いをし、心に良き思いを持つ。日ごろのそれがそのまま三密の修行に活きていく。
逆にいかに万巻の経を読み、何十万遍の真言を唱えても、常より妄言、詭弁を弄し、両舌をなし人をあしざまに罵り、悪口雑言するなどという者は三密の器ではない。
いかに険阻なる山に踏み入り。数千、数万回の礼拝行を重ね、印相を結ぼうとも、日ごろ、人に對しては不誠実で礼節わきまえぬ無礼、無慈悲なふるまいをするものは三密の器ではない。
いかに三昧の観想を凝らし,座禅瞑想に及ぶこと数時間にわたり打ち込もうと心に貪瞋痴の三毒たくましくして心に不満、憎悪、貪欲に満ち満ちたるものは三密の器ではない。
かかる人はいかなる才あろうとも三密の門をくぐってはならない。
くぐらせてもならない。