今日はちょっとしたことでもドキドキしてしまうという方がお参りに来ました。
周りにすごく気を遣う。
自分がどう思われているかが怖い。
いつもどこかで見られてるかも…と思う。
そんな感情。
これはその方が自分より周囲を尊重したいからこそですが・・・
でもお釈迦様は全然逆なことを言っている。
「自灯明 法灯明」
基本的尺度は自分が持っていなさいということ。
それには法が必要。
この法は本来は仏法ですが、要するに理のあること。
その理も人に尺度を置いたらダメです。
だって他人の尺度は一つじゃないものねえ。
そんなのに拠り所なんかにならない。そうでしょう?
自信がないからそうするの?
馬鹿言っちゃいけません。
ホントいえば自信なんかあろうがなかろうがそんなもの関係ない。
自信は自分に対する確信です。
いってみりゃそれも所詮自分の思い込みです。自分が正しいと思う思い込み。
そんなものあってもなくてもどうでもいいんです。
なきゃなくてもいい。無論あるというならそれもまたよし。
ご自由です。
私なんか自信なんかなんにもない。自信はなくても自由はある。
だって、どうせ突き詰めればそれも正しいかどうかはわからない。
それなのにそこにも人様の尺度を置こうとする。
この矛盾わかりますか?
自分も他人も本当の処は分からない。
でもいつも人をよりどころに考える癖があるとすれば・・・
そこは要は自分が責任を取りたくないからなんだと思う。
でも自分の尺度は自分が責任持たないでどうします?