金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

荒神の祟り

おみくじや江戸時代の占い本など見ると荒神の咎めと言うのがある。

荒神には色々あり、昔は胎盤の埋める方位がよくないと祟る胞衣荒神。

竈や家で使う火が不浄だと祟る竈荒神。

荒神は不浄があれば祟る神。

とりわけ昔はカ窓は家で最もエネルギーの高いところです。

陽宅風水で言うコンロのつまみの向きと言うのは実は古くは竈の向きです。

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密教思想では荒神は我々の心の本体とされます。

荒神四句の偈には

 

本体真如住空理

寂静安楽無畏者

鏡智慈悲利生故

運動去来名荒神

これは大乗仏教の言う我々の心識のありようそのものです。

我々の荒れた心を静めるのも荒神。

 

良くないことがつづいて起こると、祟り、障り果ては誰かの呪詛だとか決め込んできますが実は荒神が荒れていると伝統的には考えました。

荒神が荒れているのはとりもなおさず我々の心の奥に葛藤があるのです。

 自分の心が荒れているのです。

 

ですから呪詛だ霊障だとさしたる根拠もなく言ってくる人は相手にしません。

呪詛返しなどしても無駄です。

なぜなら、この呪詛と言うのはテレビ文化が普及してそれに伴い、お茶の間のホラー物とともに広がってきたので、本来の呪詛の形とは違うものが多く、それを見て呪詛はこういうものと言う思い込みが横行しています。

脚本家がいかにも怖いように書いたもので実際のものではないのです。

 したがって単なる不調や運気の悪さを呪詛としているのです。

また当然シロウトが簡単にできるものは大した効き目はありません。

まともな人ならやっているうちにそんなこととしている自分が嫌になります。

呪詛をする事態負け犬の立場ですることです。

本格的に呪詛するという方法は民間でできるものは古法では骨がおれるものが多く、多くの人はただの腹いせや恋のさや当てでそんなメンドウことまでできません。

例えばフクロウの羽を焼いて墨にしてや狐の毛などを使って咒符を書いたり、呪物を相手の床下に決められた寸法で決められた刻限に埋めたりとか・・・

例えば相手を別れさせる呪術でもヤマドリの羽や渓流の割れたところも水なども採って用意します。

さらに憑き物ですが、憑き物は存在しますが自分で勝手に憑依することはできません。心の中で憑き物を呼び込む何かが働いているのです。それは自分の心の問題です。

もし勝手につけるなら日本中憑き物だらけです。

心を治すための大本のは祈祷で無く正しい認識です。

 

本当に呪詛であってもまず心の荒神を鎮めればおのずと受けません。

端的に言えば「お前はここにいてはならない。直ちに退去しろ!」と霊的なものにいえばいいのです。

迷惑な客にハッキリ帰れと言えないのと同じ原理です。

 それがはっきり言えれば本当はなにもいらない。

 

さりとてこういう人はもう思い込みだけでいってきますので、こういう荒神の御話をしても聞く耳もたないのでどうにもならない。ただ外から来るものを追い払えば何とかなると思っている。自らは一向に省みられない人。

そういうお方は相手にできないです。