外部への出張旅行や忙しくて観ず目状態で拝めないとき。
心の中に本尊のイメージをしっかり描ければそれで充分です。
そしてこころで手を合わせて「お守りください。」の一言で十分です。
他に何もいらない。
これならちょっとした時間でも拝めます。机の前だろうが会議中だろうが。電車の中でも飛行機の中でもできるはず。
そんなのはダメでしょ。チャンと拝めないなら、いっそ何もしないほうがいいというのは愚かなこと。
お経読んだり念誦したりは実はこのためのもの。
この心を培うのが勤行というものです。
密教の行法だってギリギリにせんじ詰めればこれだけだ。
エッセンスは他にはない。
もしも、それが全然できないというなら、たとえ何年信仰してもダメだ。
今までの拝み方もなんか全て間違っていたという以外ない。
いわゆる空念仏だ。