明日は聖天浴油供の伝授です。
長年聖天様の花水供をしてきた方に授けられるのは聖天を祈るものとしておおきな喜びです。
この花水供というものですが実際は皆「如法供」をそう呼んでいることが多い。
先日伊矢野師とお話して「聖天略念誦作法」ってこれが実際は花水供だよねという話。
そうね、香華灯明飲食をささげる五供養がこの作法にはない。
普通、飲食供だけを抜いたものを花水供というと聞くけど…実際そういう次第は見たことない。
実際は多くの場合は荘厳は同じようにする如法供をする。
そもそも、もともとの意味通り六度の供養のうち飲食だけ抜いたら六波羅蜜のうちの禅波羅蜜がないことになる。
それもおかしい話だ。
だから念誦作法で全て六器に花と水だけの総供華のスタイルで行うのがすっきりと腑に落ちて最も花水供らしいという話になった。
まあ、あくまで推論の限りです。
私はそもそも灌頂道場で、初夜分の作法が飲食を抜いて聖天供したことが実際の花水供の初めだと思います。
最近「花水器」という仏具に花と水を盛ってお供えする作法を花水供というけど昔はああいう作法はなかったのではないかと思う。
古い仏具でそういう様な仏具はいままであまり拝見したことはないですね。
ああいうスタイルは比較的新しいのではないか?別に悪くはないが・・・
※ 華水器です。
お花を水皿に入れてささげるというなら唯一ある聖天様のお寺で拝見した次第が最もそれらしい作法だが、その組み立ては「十八道立」とか「別行立」といった従来型のオーソドックスな作法ではまるきりない。
浴油の前行でもまったくない。
これは、むしろ浴油などをこなす行者のするらしきものでまるきり独立した「深秘法」というべきものだと思いました。