祈り始めた加藤智大はこののち死刑になった。
この人の事情はどうあれ、彼の八つ当たりで未来がまったくなくなった人が複数いる。
そこは許されないだろう。
だが、その一方で彼の祈りの内容はわからないが、どんな人でも祈りや宗教を持つことは妨げられない。
妨げられてはいけない。
それは否定できない。
なぜならそれらは法律とは別な世界だからだ。
同時にそれを以て法を曲げることもまたできない。
だから私は彼を死刑にするなとはいわないのだ。
残念な人生だったが転生して次回は頑張ってほしい。
死んで全ておしまいとは思わない。
彼の祈りが懺悔の祈りなのか、死刑の恐怖から救いを求める祈りかは知らない。
神への祈りであるか仏への祈りなのか、はたまた殺した人への供養なのかは知らないが祈りは祈りだ。
祈りは彼の来世の一端には役立つことだろう。
今度はよりよい人生を送ってほしい。