金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

馬頭観音さまの香合仏をお迎えして・・・

「朝晩は涼しくなってまいりました。

先生におかれましては益々ご健勝の事と存じます。

8月に馬頭観音様のご法楽を申し込みさせて頂き、遅れ無いようにと早速の荷物を作り、先生には「大変な御利益を戴きました」と手紙に書きました。

詳しい内容を是非説明させていただきたく失礼ながら長文メールを読んでいただければ嬉しいです。

 

実は在宅介護をしておりましたが母は頑としてデイサービス等も拒否していて、生まれつき股関節の悪い私が入浴も一緒にしていました。

母が癌と判って、余命宣告された時から10年を過ぎていました。ケアマネージャーさんが来ることも不満らしく、包括支援センター長さん自らも説得にきてくれましたが私はボケていないから必要ないと。昨年夏に、先生のブログにて馬頭観音様の香合仏の募集を見てすぐに申し込みさせて頂いていました。

10月初めに、私は帰宅後のうがいの水がダラダラと口からこぼれたことで何かおかしいと気が付きました。そしてすぐにかかりつけ医に行ったら紹介状を持たされ、脳のCT等もとり、左顔面麻痺との診断でした。かなり酷く目も閉じられなくなり、テープで瞼を留めていました。思い当たる事は大変なストレスでした。

 

そして11月末に、夜間私は猛烈な腹痛と嘔吐。同じ食事の母は何ともなく、痛みが経験のない程酷く、時間が経つにつれ悪化してきたので救急車を呼んでしまいました。這って玄関の鍵を開け倒れ込み病院では心臓、血液、尿すべてCT等もとり、最低でも今週は入院と言われましたが、猫も母もそのまま家に置いて来ている。

どうしても帰る。と、翌日の内視鏡検査を約束して帰宅。もう夜があける頃でした。朝、すぐにケアマネージャーさんにすべて話して母をしばらく預かって欲しいとお願いしました。

主治医が「最低でも4ヶ月!もう僕がケアマネに電話する!」と。

そして、あんなに施設やデイサービスを嫌がっていた母は、すんなりと施設長の車に乗り、ケアマネさんは本当に驚いていました。

 

私は、毎日点滴に通うので猫を置いて行けないからというわがままを主治医は聞いてくれ、長く私一人でよく頑張ってきたよ、でも身体も心も今回は限界。兎に角寝ている事。ということになったのです。

心配は、観音様のお支払に銀行に行けないかもしれない。

遅れることになると困るが羽田先生に電話をしようかどうしようかと迷っているうちの数日後、たまたま病院から帰宅した所に届いてくれました。そして点滴の後は少し楽になるので銀行も無事行くことができました。

「観音様には申し訳ありません、身体を治したらしっかりお勤めさせていただきます。」と一晩中続く猛烈な吐き気と痛みに正にのたうち回り胃液を吐きながら、「オン アミリトドハバ ウン ハッタ」と、唱え続けていました

。一見して良く無い事が起きたように見えますが、私は数々の検査で身体は健康であること、内蔵が知覚過敏を起こしている状態の機能性ディスペプシアという事で薬を飲み続けています。

結局ひと月程、ほぼ寝たきりでした。

 

でも自分の為に好きに時間を使え、存分に眠り、休む事ができました。母は、4月に戻ってきたのですが、あんなに拒否していたデイサービスでの入浴、月に1週間のショートステイを利用しながらも母の通院もしていました。

 

あれほど動かなかった山が動いたのです。

私はこれは観音様のお恵みとしか思えませんでした。母は大変に運が強く(?)6月にはそろそろ心の準備をした方が良い、いつ何があってもおかしくないですとまで言われ、車椅子移動しか出来なくなり、8月初めからまた施設におります。

父も闘病しながら別の住居に住んでいますので、食事を届けたり、昔話をしたり、介護費用も心配してくれて、本当に感謝しかありません。

 

長々と申し訳ありません。

けれど、ケアマネさんもお手上げの母が施設にスムーズに移行出来たのは精神的にも限界がきていた私を馬頭観音様が助けてくださったのだと信じています。これからも観音様を拝んで行きたいと思っています。羽田先生、本当に香合仏を出してくださりありがとうございました。」

大変な中にも救いを見出せる人。

無事な中にも不平を見出す人。いろいろです。

人によりけりで苦もあり楽もある日常をお陰さまと思える人は幸せです。合掌。