大峰山には都合14回行ったが未だに想うのは人間の脳みそなんか何でも都合で見せてくれるよねということ。
山中で道に迷って一昼夜あるいたこともあったが突然右手に石垣が現れたり、あるいは昼間でも疲れてくると群生する山ツツジの花の朱色が、あたかも赤いトタン屋根の色に見え木々の間に家が建っているような錯覚さえも起こす。
山に行くと自分の脳みそもあてにはならんなあ・・・とよくわかる。
人間なんて弱いものだ。だから神仏を念じて違うレベルにアクセスする。
それが大事だ。
そこを勘違いしている人もいる。
頑張って超人になるのが修験道の修行ではない。
人間いくら頑張っても超人なんかになれません。人は人
人の壁にチャレンジするスポーツとはそこは違う。
修行なら少しばかりほかの人と差をつけたからと言って慢心するならそれは逆効果。
ドンなにすごいことができても、それは超人になれたからでなく、仏さんを見つけられたからなのだと思うのがこの道だ。
超人でなく「凡夫のお前さんの中にこそ仏を見つけろ!」というので山修行するのが修験道だろうと私は思います。