金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「覚りてなお情け有り」

菩薩を「覚有情」と訳す。

「仏心とは大慈悲これなり」と大無量寿経にある通りだ。

その仏になろうというのが菩薩。

金剛経の大家・濱地天松居士は「悟りてなお情け有り」とよませた。

情けというのは煩悩だ。

情が立ちがたいのが人。慈悲も見方を変えればただの煩悩。

その煩悩をバッサリできれば阿羅漢のような聖者になれる。

だが大乗菩薩はそうではないという。

 

菩薩に最も大事なものは慈悲だ。

 

煩悩をバッサリやれば慈悲も同時に消える。

わが師にも修行の一番初めに「煩悩はね。断つんじゃないんだ。

渋柿の渋が干したら甘くなるようにするんだ。それが修行。」と教えられた。

当時はなんだかさっぱりわからなかったが、今は少しわかるような気がする。

 

大乗の道へ行こうとするもの、怒り・悲しみ・好悪・喜び…皆その裏には慈悲があると考えるべきだ。

無惨な行為を見れば怒り、衆生が死ぬれば悲しみ、衆生とともに喜び楽しむのが人の道。

すべて、諸行無常・諸法無我と割り切って流すのが羅漢道

諸行無常・諸法無我とは知りながら人の道を離れぬのが菩薩道。

 

悟りてなお情け有り。