上座部仏教の方に言わせると歴史上の人物としてのお釈迦様こそが唯一無二で大乗仏典のお釈迦様は架空のものだといいます。
確かに人物としての釈尊あって仏教は始まるのですが、大乗仏教で言う釈迦如来は歴史上の釈迦は背後にあって歴史的な人間である釈迦を通して法を説いた存在という考えが大乗仏教の考えです。
だから大乗の釈迦は釈尊以前に久遠の過去から存在する宇宙の大慈悲の存在なのです。
このへんがとてもややこしいのです。
つまり上座部のお釈迦様は歴史的人物
大乗のお釈迦様は宇宙的存在です。神様に近いイメージです。
上座部仏教では肉親釈迦の教えにより輪廻を脱することが主眼です。
輪廻を脱して完全に消滅する。入滅です。
これに対して大乗では仏教の流れのもとに様々な仏があり教えがあります。
大乗とは大きな船に乗る意味です。以前はこれに対して上座部を小乗と言いまいした。一部の出家者のみが至る高みの世界だからです。
近年「小乗」はヒナヤーナといってヒナに「劣る」「いやしい」という意味が込められているので侮蔑的だからと取り下げました。大事なことは侮蔑的だからいけないのであって差別的だからいけないのではない。
大乗はあくまで上座部より優れた教えという差別観に立脚しています。
上座部も同じで、大乗は偽の疑似仏教と考えます。
最近おバカな人は宗教の優劣を言うのを「宗教差別」という人もいる。
宗教は皆自分の教えが一番と信じるのが当たり前なのです。
宗教が違うからと言って「人を差別する」のが宗教差別です。
いけないのはそっちです。
あまりにバカなのでめまいがしてくる。
大乗は出家して阿羅漢を目指さなくても仏教の教えは果たせると考えます。
それは目的が違うからです。
大乗では解脱の上に慈悲が来るからです。
明確に自分の解脱なんかどうでもいいから何度娑婆に生まれ変わっても衆生を救おうのが大乗の理想の菩薩だという教えもあります。
仏は慈悲の故に働いてやまない宇宙の意識です。
仏になるのも衆生救済のためです。
よく誰でも仏になりやすいから「大乗」と言いますが・・・・
大乗だって早くても三阿僧祇でやっと菩薩の満位です。次の仏は決まっていて56億7千万年あとの弥勒様のみです。
解脱しやすいのはむしろ上座部で全然大乗じゃない。
では何故大乗というのか?大乗とは誰にでもできるという意味だと思うのです。
過酷な修行や解脱は難しいですが慈悲は行おうと思えばだれでもできます。
一円もなくても水に落ちてもがく虫を救い上げることでもできるのです。
慈悲こそが直に宇宙の仏とつながる心です。故に大乗です。
いま日本で行われているもののほとんどは大乗の教えです。
逆に上座部の教えを学んでいる人でも残念ながら上座部仏教の提唱する三衣一鉢の出家生活をしている方はほとんどいないでしょう。
日本ではほぼ不可能だと思います。でも日本ナイズすればもうそれは上座部の伝統からは外れたものになってしまう。