下品な祈願。
頼む時ばかりドドンとつぎ込む祈願。
それでいて御礼や願ほどきはしない。
頼むときにはドンとつぎこむんだからお金に困っているわけじゃない。
そんなものにしろというのもバカバカしい。
そういう能味噌の持ち主など所詮金欲しさで言っているくらいにしか思わないからだ。
例えば高齢の人の健康を月々拝んでいたら、亡くなったらそれでおしまいじゃないのだ。
それでも願ほどきはしないといけない。
チャンと願ほどきしないとあの世で苦しむこともある。「だって治らないで死んだじゃないか?」といったって・・・そもそも死なない人はいないのだ。
まあ、願ほどきもしないであの世に行って苦しむのは亡くなった人で私じゃないから、したくないものを無理にしていただかなくても構わないが。
だが、それを言うなら祈願など頼む資格はない。
お世話になったという思いが少しもない。
これを下品と呼ばずして他の呼び方は知らない。
大昔、当時は絶対助からない感染症になってある聖天尊の寺に祈願をたのんできた人がいたそうだ。頼むときは藁にも縋るよう。
で、それが助かったらどういう態度をとったか。
「治ったんでもうご祈祷いらないから」等という電話が一本あっただけ。
呆れていたら、どこでひろってきたのか一年後にまたなった。
で、また祈祷頼んできた。
「それはまたは無理です。できない。」と断ったら・・・そこの家族が絶望して自害した。
驚いた紹介者が吹っ飛んできたが「あんたが信仰していながらなぜそういうことを教えないか?」といわれたそうだ。
私もそう思う。