此の黄ばんだお札、実は24年の歳月がかかっています。
本日、24年前のお礼参りにという方が見えました。
その時の祈願は体調不良だった由ですが、この私の作った手製のお札ひとつをずーっと拝まれてきたとか。
その後何か思うところあって、お参りに行くのもなぜか申し訳なく思って見えなくなったのだそうですが、このお札だけは拝んできたらしい。
その後、紆余曲折あって体調も回復して今は福祉関連の仕事をされているようです。
これがそのお札です。
驚きです。
昔は全部こうやって一から折って下手な字を書いてお出していました。
内符だけは今も手書きです。願意によって色々変えていますからそこだけは一律には行きません。
う~ん、でもこうしてみるといまも文字は全然うまくなっていないなぁ。
恥ずかしい!
大慈光教会というのは金翅鳥院の前身です。このころは主に「不動尊華水供」一本でもって何でもこなしていました。
それにしてもこのお札納めてしまうと拝むものがなくて淋しい…と言われるので代わりに大祭のお札をお出しすることに致しました。
拙い私の手書きのお札を24年間もの長い間、ずっと拝んでくれていたと思うとありがたい気持ちに堪えないのはむしろこちらのほうです。
また思えば私のような寺の出でもないものが長い間この道を生きてこられたのもそういう皆様の御心に支えられてきたにほかなりません。
感謝です。 合掌です!