台密の不動供では「因業不可得」という言葉が出てくる。
「不可得」ってどういうことか今朝弟子から聞かれた。
単的にいえば「得られない」ということだ。
お前はどう思うのだと聞いたら、白と黒があってその間みたいなという表現をした。
じゃあその白と黒はなんだ?
抽象と具体ですか?
そうではないでしょう。
因業不可得とは対象としての因業はとらえられないということ。
なぜなら我々と不可分だから、宇宙を試験管に入れようというのと同じだ。
だからハッキリ言えば頭でわかるのは無理という意味なのだと思う。
だから行法がある。
無論因果ということの説明はできる。
説明は説明で存在意義がある。決して無用でもなければ無駄でもない。
だがそこが頭でわかればそれで本当にわかるものではない。
頭でわかる。それは理解したということ。理で解いてというのが「理解」だ。
それは脳のなかでの処理が済んだということ。
自分が納得したということ。
だがそれはそれ以上でもそれ以下でもない。
そこが決定的に違う。
脳みその引き出しに整理して入れただけだ。
必要に応じてわかると言うだけだ。
そういうわかるとは違う。
例えばリンゴの味は理解しても仕方ない。味わうものだ。
景色の美しさ。花の香りもそうだ。頭で理解してもわからない。
行法は体験であり、自分が想像し得ない領域に連れて行ってくれる。
そこは学問と行の違いでもある。