いくら御祈願しても残念ながらなくなる時はなくなるものです。
以下は病の竹封じをさせていただきましたよそ様の御信者様における闘病生活の最後のお言葉だそうです。
以下はそこのご住職様からのメールです。
「昼間病室にてお話した際に、本人の口から以下のような会話がございました。
痛み止めの麻薬も入っておりましたからただの幻覚であったかもしれませんが、なかなかご先祖様のお迎えの話は聞きますが、私も初めてのパターンで、金翅鳥院様に御礼をお送りせねばならないと考えたものです。
私「元気そうで安心したよ」
本人『んー全然力ないけどね、ねぇ、狐が来てるの、○○にも見えてる?』
私「どのへんに?」
本人『ほらそこにこうやって』と壁を指さして波打つように何度も波打つようにしている。
私「その狐はどんな顔しているの?」
本人『顔は見えないんだよ、光に囲まれて』
私「どんな光が見えてるの?」
本人『赤とか金色とかキレイな光りが、ほらポッポッって』と手をグーパーみたいにしてあちこちに向けている。
私「その狐は怒ってるの?可愛らしいの?」
本人『かっこいい、黒と赤の光とか出ててかっこいい、パァパァって』と満面の笑み。
私「かっこいいなら良かったねぇ」
本人『本当かっこいい』
私「そうかぁかっこいい狐なんだ」
本人『うん。見えてるんでしょう?』
私「ごめんよ〜私には見えてないけど、かっこいい狐なら善いじゃん」
本人『ほらね、こうやってる』と両手を広げて見せる。
私「そうなんだね、手を広げてるってこと?」
本人『こうやってるか、こうやってるかわからないけど、こんなんしてるよ』と手を広げて裏表にして見せてくれました。
顔が見えないと言うのに、かっこいい狐とは、どんなんだろう?しかも手を拾い上げた状態とは立ち姿の狐とは半人半獣の狐なのかな?などと思っていました。
また、このあとの夕方に介護の親友には『狐がそこで、すました顔している』と伝えたらしいので、本人にはお迎えの御神佛様のお姿が狐にみえていたようだね、と解釈いたしました。」
此の狐が一体何かはわたしにも正直わかりません。
ただ、当院は飯縄様のお寺と強く思っている方が多いのでその思いが精神に影響したのかどうか・・・
ただ、私にも「お前の臨終には私がきてやるぞ」とあずさ霊狐さんから言われてはいます。
霊狐さんに言わせるともともと私はそっちからきたそうです。
ほんまかいな・・・
まあ、でも薄徳の身に仏菩薩の来迎などはまぶしすぎます。