「寺で口にした言葉はすべて尊天に聞かれていると思え。」
これは先代の師匠の言葉。
林家先生の「聖天信仰の手引き」にも尊天の罰はだんだん信仰が進むに連れて厳しくなるという。
「いまさら、そんなことわかっているだろう」ということなのかもしれない。
私と同門だった人の話。この人には霊感があった。
もっとも同門は私以外はほぼ全員が霊能者でしたから (笑)
さて大部昔の話だ。
以前、寺で前住について陰で少し不満というか批判めいた事をちょろっという人がいたそうだ。
内容は知らない。
そこには2,3人の人がいたという。
そのひとは別に話に加わるわけでも無く聞いていただけだがて帰る段になって尊天に挨拶するため御宝前に座ったら、烈火のごとく尊天の強烈な怒りが伝わってきたそうだ。
「お前は弟子のくせに師匠の悪口を何も言わずに唯々諾々とただ聞いていたのか!」ということのようだ。
あまりに恐ろしくて礼拝もそこそこに退出したそうだ。
同じようにつまらぬ戯言を言った弟子がいた。
亡き師匠が制すると「冗談ですよ」といったがそのとき師匠は真顔で「冗談でもこころにないことは出ない」とさらにいさめたという。
貴方の言葉を尊天は聞いている。尊天を奉安する寺に信を運ぶものは常にそれをこころせねばならない。
ひとこと言っただけが命取りになる。
長年の信仰がそれですべてくずれおちることさえある。
そこに一抹も容赦はない。
天尊のこころは計り知れない。
裏を返せば古伝にいうがごとくに口を慎まぬものは尊天に忌まれるということになろう。
古来、天尊の行者は「王侯に仕える如くせよ」という。
王の御前で軽口、戯言などは許されない。
これは実は聖天に限らずなんの天尊でも基本は同じだろう。
世上に天部を怖がるゆえんでもある。