だいぶ前困っている知人の話を聞いて、「察するにはかなり困窮委されているようだ。私もいろいろ物入りでお金はないけど、できる範囲で少し用立てようか・・・」などと思索していたら
梓霊狐は
「善事に毒を含むなかれ!
お前は何故それをしたいのか?
気の毒だからか。
その人も難儀はその人の修行でもある。
人生こそが修行だ。
己が切り開いてこその修行だ。
その貴重な修行の機会を奪い、反省をやめさせ恩をうりたいのか?
自分を売りたいのか?
抑々そのような少額を施しても一時しのぎでしかないとは思わぬか。
人生の問題は多分に当人にこそあるのだ。
その気づきを奪うなかれ。
そこをよくよく内省すべし。
愚かの極みだ。まことの善事などでは全くない。
浅ましき愚痴のはからいだ。
止むべし!」と厳しく言われたので
「なるほど‥‥浅ましいことを考えていた」と反省して
やめたことがある。
勿論それはこのケースの話だ。
例えば病や天災に見舞われた場合とか勿論同じ人間としてそのようにお助けすべきことも多々あろうが・・・
この霊狐さんの教は金剛般若経に言う
「菩薩は法に於いて應に住する所なくして布施を行ずべし。所謂る色に住せずして布施し、聲香味觸法に住せずして布施せよ。須菩提よ、菩薩は應に如是に布施して相に住せざるべし。いかんが故に。若し菩薩、相に住せずして布施せば其福徳は不可思量なり。」を思い起こさせる。
布施の目的は布施そのもの以外はないのだ。