よく聖天様は比類なき欲願の仏尊だからとおおきな願望実現を祈る。
それはいいのだが、願望はものによっては準備がいる。
大きな願望なら必ずそうである。
それを保っていくのも大変だ。
たとえるに願望は魚を飼うに似ていると思う。
魚を飼うにしても水槽を用意し、魚に適合した水を作り、温度も調節し、日当たりも考え、魚を迎えた後も餌は勿論、水槽の苔取り、水替えなどをマメにしていかないとならない。
容易もなく魚を手に入れても保てない。
ケアしないと魚は死ぬ。
欲望が叶えばそれでOKではないのだ。
魚の飼育は魚を飼ってくればおしまいではない。
そこがスタートだ。
願望実現も同じだ。
せっかくかなったのにチャンスを失ったと嘆く方は、チャンスを手に入れた後どうしたのか?あるいはチャンスを手に入れて前に進めるだけの準備はあったのか?考えてみるといいと思う。
いたずらに聖天尊を恨んでも何も解決しない。
保てないのは自分の側に準備があったのかだ。