羽田談
釈迦に提婆の喩えあり。世の中に怨敵はつきもの。
そのような物に拘泥して徳を失うのは惜しい。
やり返そうとせず、「念彼観音力 衆怨悉退散」と唱えるように勧めている。
稀に生霊や呪詛を返すことを頼まれる。
その場合も相手は誰かなど特定しないのが伝統的なやり方だ。
怨敵が誰であれ呪詛がかえるならそれでいいのだ。
依頼されてもピンポイント攻撃はしない。
思い違いでないという確証など何もないし、それは業をつくることだ。
もっともたとえば強烈な呪詛がかえって相手方がどんな目にあってもそんなことは知ったことではない。
する以上は心配などしない。
いらないから送り主にお返しするだけのことだ。
どんな結果になっても責任は送り主にある。
たとえ、呪詛がかえって極めて凄惨な結果になったにしてもつまりはそういうものを送っていたわけだから。