この前。拙寺の礼拝作法にある金光明最勝王経第十四如意宝珠品を読んでいるという講員さんがある坊さんが「そんなお経を読むなんてとんでもない!」といわれたらしい。
在家がよんではダメと言いう意味らしい。
たしかに在家が見てはいけないものもある。僧侶であっても阿闍梨にならないと読めない密教経典。儀軌とかはそれである。
だが最勝王経はそうではない。
それは出だしを見ればわかる。
「その世尊、大衆の中においてアナンダに告げてのたまわく」とある。
大衆のなかにおいて宣説したお経をして読んでいけないお経というのはお経のイロハも知らぬバカな坊主だ。
続いて「我(釈尊)この経の中においてまた汝ら大衆のために宣説し、よく人天のために大利益をなす」とある。
対告衆という聴衆が「大衆」であるお経は読んでOKだ。
我々は僧俗問わず大衆なのだから。
そこにいくと聖天礼拝作法にある定番の「大聖歓喜天使呪法経」は密教経典であり対告衆は人ではなく大自在天や眷属の鬼神なので、信者には秘めている聖天様のお寺もなかにはあるようだ。
それはそれで理があるといえよう。
理趣分なども読めばわかるが対告衆はかかれていない。
まあ、内容は如来の直説をダイレクトに展開しており、そもそもが大般若経という膨大なお経の一部なので対告衆は書かれていないのだが。