「心だに真の道に叶いなば祈らずとても神や守らん」の意味を聞かれました。
「祈らなくても守ってくれるのか?」という質問。
条件があります。「心だに真の道に叶いなば」 という通りです。
これは信仰しなくても守ってくれるからいいという意味ではないと思います。
常に信仰の心ある人は神様、仏様とつながっているということだと思うのです。
そういう人はなんか、かんかにつけて祈願しなくてもいいのです。
「家内安全」といっても、夫のだらしない性格が良くなるように、お酒をあまりのまなくなるように、子供が勉強できるように、学校で苛めにあいませんように。特に英語が伸びますように、
おばあちゃんがボケませんように・・・など一々
挙げればきりがない。
それをいちいちにお札にしたり、絵馬に書いたり、護摩木に書いたり、読みあげてもらわない時が気が済まない人もいます。
それは信仰深いようだが必ずしもそうとはいえない。
あれもこれもいちいちに祈っておかないとダメ感がつよいのでしょう。
裏を返せば神様とつながっている自信がない。
だからくどいほどいう。そうしないと届かない。
そういう気持ちが強くても堅固な信仰だというのは大きな間違いです。
逆です。
祈りが届いているか否かわからない不安がいっぱい。だからくどいほど祈るんですね。
ここにいう「まこと」とは真の信仰です。
そういう信仰は常に神様の方を向いていることから生まれる。
祈らない時も神と一緒。
神道で破「かんながら」といいます。それが大切です。
逆にそう信仰が全然ない人はちょっと何かあるともう大騒ぎになる。
全然ないのは普段から神仏を意識しないで全然無縁の生き方をしているからです・
ですから「心だに…」の一句は逆もまた真なりで
「心だにまことにの道に背きなば、いかに祈るも神は守らず」となりましょう。