この前のイノシシ年から1,2年後の話です。
「摩利支天のご祈祷ってしてますか?」
「いいえ、ご祈祷まではしていません」
「え、前に写真に載っていましたけど」
「尊像の写真が載っていたかもしれませんが、ご祈祷してるのではないです」
その年は亥年なので七日まで開帳してました。
「そうなんだあ・・・摩利支天はね、ギリシャ神話に出てくるマルスなんですよ。」
「・・・ああ、そうですか。」
「え、知らないの?」
「知りません。うちは仏教でしていますから。」
「そうなんですよ。・・・本読めばわかりますよ。教えましょうか?」
「いえ、結構です。別に興味はありませんので。他にはなにかご用事などはありますか?」
「じゃ、お像を拝ませてもらえますか?」
「あれは亥の年に開帳したときの写真だと思います。普段は開けていません。
そもそも摩利支天というのは秘仏ですから。」
「拝観料出しますよ。」
「せっかくですがいただけません。今いったようにそういうことはしていませんから。」
「え、拝観料出したら京都のお寺とかは仏像とかみんな見せてますよ。ダメなんですか?JRとかも宣伝してるし。」
「よそさまのことは存じません。うちは観光寺院ではないですから。」
「え、鎌倉って観光地じゃないの?」
どうもつける薬のない人のようです。
「じゃあ、どこかほか知りませんか?」
「ほかとは?」
「摩利支天を拝観させくれるところ知らないですか?」
「存じません。」
「・・・」
「ご用件がないなら失礼します。」というより先に向こうが電話を切った。
多分、名前がマーリーチとマルスで音が似ている。しかも両方とも女神で戦闘の神だからそういうのだろうが、何か新宗教の本に似たようなことが書いてあったように思う。
マーリーチは陽炎の神で暁の神ウシャスの後身で、のちに風神ヴァーユの部類とされる。陽炎を風の一種と考えたのだろう。
軍神マルスは火星の神であり陽炎とは縁はない。
お互い似ているから同じという考えは理解に苦しむ。それは学問的に考えてもあまりに素人考えだ
似ているのは神々ではなくとらえる側の人間のアーキタイプでしかない。
だからリンクはするのだろう。
ゆえに太陽信仰はどこもにあって天照大神もいればアポロもいる。エジプトのラ―もいればインドのスーリヤもいるのだ。
これらを一緒くたにする人を受け入れるのは私には無理ですね。
神様がおなじだからといって宗教も同じではない。
極めて幼稚な考えです。
どう思おうと個人の勝手ですが、思い込みが深そうなのでこういう考えの方とはなるべくかかわらないようにしています。
前にドゥルガーを信仰している方から准胝独部法をやりたいといわれたがこれも断りました。
理由が「ドゥルガーは准胝仏母」だからやってみたいということだったからです。
そんなのは定説ですらない。たとえもとはモデルであっても信仰の上ではドゥルガーはドゥルガー。
准胝尊は准胝尊だ。混乱してはいけないと思います。
「もしも二つの尊が同じなら、わざわざ准胝信仰なんかやらないでドゥルガーを一生懸命拝めばいいでしょう。違うものなら違うで別な意味でやる意味はなくなるでしょう。」と言っておいた。