暮れですので内陣の書庫がパンパンなので要らないもの全部一掃する覚悟でお蔵入りにしました。
あるいは人にあげてしまった。
中には自分の書いたものもあるが、同じものがいくつもあってもどうにもなりません。
それもさしあげた。
ここは次第や経本でも実際使うもののみで占めています。
これで一々必要なもの探す手間がだいぶ減った。
使ったことのないものや飾りのような他宗の文献などはどうせ見ませんし、使いませんので伝授を実際受けた一部を残してすべて処分です。
わたしは学者ではないのでつかえないものにはいかなる興味もない。
仏教学と言っているものも実際は歴史科学のようなものだ。
そんなのは興味なもなければ、それ以前にそういう頭脳のもちあわせもない。
だから後はもう好きなことしか研究しない。
ゆえに恥しくない程度に一応のことを知っていたらそれでいいと思っている。
学問して悟るわけじゃないしね。
もう そういう段階でいいと思う。
人間いくつもそういろいろできはしないね。
だから「いつか何かの役に立つかも」などと言う好奇心にかられての資料集めはおしまい。
もうその時期は終わった。
そう言うものに興味はもう全くなくなりました。
この間も何とか流の聖教をあげましょうか?と言われて場所ふさげになるだけだし「せっかくだがいりません」とお断りした。
そんなのあっても私にはたいして意味ない。第一宝の持ち腐れだ。
聖教に申し訳ない。
必要なお方に上げられたい。
それでもまだ残りはだいぶある。
いずれ折をみて第二の整理を行うことが必要です。