気鬱の病の人で以前にその病気のお札を頼んだ方。
実は気になることがあってこのたびはそれを何とかできないかという相談。
それに引っかかって気鬱は晴れないのだという。
くわしくきいていないが、まあ、人の噂の類みたいのらしいけど。
くわしくきかないのは、そんなのきいてもしょうがないからです。
私の答えは「そんなのいらないでしょ。」
だって気鬱のご祈祷はしたんだからそれを一生懸命拝んでおけばいい。
原因探しをしてからいちいいちほとけ様に頼む必要なんかない。
それはほとけ様の仕事です。
ピンポイントのご祈祷ってそういう間違いがある。
例えば身体健康で済むものを目の健康、心臓の健康、胃腸の健康、
肝臓の健康、肺の健康・・・・みたいにわけるようなもんだ。
勿論目が悪いなら眼病平癒でいいのだが、その場合、じゃ、ほかは健康でなくてもいいんですか?みたいなことまでは考えないだろう。
それ言い出すときりがない。ま、、考えようによっては丁寧に信者によりそうのだというかもしれませんがね。
わたしゃそういう丁寧さはないから知らんけど。
実際そうやって祈願をどこまでも細分化してわけている宗教もあるみたいだけど、極端な場合はもう信者に寄り添うのを通り越してただの金儲けの手立てじゃあるまいかと思う。
そうやってあれもやらないとダメ‼これもしないとダメ!みたいになってくればそれは愚かな迷信だ。本人にまず問題がある。
そんな事したって幸せになんかなるもんか。保証します。
そう言う考えには極論すれば信仰がない。強くなるのは信仰ではなく依頼心だけだ。
一々祈祷までしなくても神様にさえ言っておけばいい。
そうすれば向こうで適当にはやってくれるものだ。
神仏にはなによりも強い「お頼みします‼」の気持ちこそがまず大事なのだ。