哀れっぽくお願いする。
不満を態度に現す。
傷ついたと相手に伝える。
これらはいずれも人心操縦のやり口です。
こう言う人に近づかぬこと。
そうやって人生を泳いできたんですね。
悪気がないどころか悪気を意識していないだけの幼稚で悪辣な人間だ。
とりわけ最後の傷ついた!などと堂々と相手に言う人は本当には傷ついてはいない。
罪悪感を喚起させて自分が主導権をとりたいのだろう。
悪いのあなたで自分は一切悪くないから変わらないという人だ。
必要のない侮辱、失言や感情任せの悪口雑言であるならもちろん謝るべきだが、非常識に対する注意喚起できつく言うなら傷つくくらいでちょうどいい場合もあるのだ。
なんにもショックが無ければ馬耳東風だ。
そういうケースなら自分が悪いことを認識せずに謝罪を要求する人間などは至って太い、ずうずうしい人だ。「傷ついた!」などと言われ得れば「よかったですね。少しは目が覚めましたか?」と言ってもよいだろう。
何十年も前の話だが、本来なら犯罪で起訴になるところを何とか不起訴になるよう祈願して欲しいとのはなし。だが無事に不起訴になっても一切お礼参りにも来ない。
お参りするよう注意したら、「うちのこは忙しいから」という。
「今ごろ監獄でさぞ忙しかったのでは?」というと、ようやくやってきて門の外で「ドモ!」というだけ。
きつくその態度を諫めたら、逆に親族から「住職がきついこと言うからうちの子が傷ついちゃったんです!」との抗議。
「本当ならまだいいたりないくらいですね。」と言っておいた。
勿論、その折はこちらは謝罪など一切しない。
後日一流商社への就職祈願も頼まれたが拒否した。
そんな人間が一流商社にいたら日本の恥だからだ。それもそのまま伝えた。
大体上記の三つの態度の激しい人はすべて拒否する方向で考えます。
利口なら自分を改めることだろう。