金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

徳を積むということ

徳を積もうとするほどに自分の徳の薄さが身に染みる。私などはそれだ。

そもそも徳は積もうと意識しては徳ではないだろう。

人としての内面の発露なので日頃、自我を抑えて他をよく見据えないと積もうとして積めるものではない。

もともと自己を利することしか本能的に考えないのが大多数の生き物の常だからこれは大変なことのだと思う。

だが例外的に集団でいきる動物にはそれがある。

自分を集団の一部でもあると考える生き方だ。

私はそこに善の芽生えを見る。だから動物にも善の心はある。

 

常に人と比較して何かと文句をいうことがクセになっている人に徳は積めるものではない。

共産主義思想では宗教ばかりか徳などと言うのは為政者の民を支配する道具のようにいう。

この考え方は群生動物である人間にはダメだと思う。徳は必要だ。

もちろん死ぬ生きるになればだれでも自分が大事だけど、どこまでも権利だの、不公平だのを追及するのは違うと感じる。

これでは徳など積めるわけがない。

だから左翼思想に徳などない。あるのは権利追及だけだ。餓鬼の思想だ。