俗にいう左翼思想の人はなにかというと「権利」だという。
どこまでいっても権利だ。
そんなのは成長した人間の考えではない。
話をすれば体制や既存への攻撃ばかりだ。
およそ仏教に反する考えだ。
餓鬼道の考えだ。
だから大嫌いだ。
一体権利というものは人間社会であってはじめて通用するものだ。
例えば「健康で文化的な生活」は誰に対して主張する?
国であり社会だろう。
さればまず大前提として国や社会の恩恵あってこその権利なのだ。
天地自然に主張しても無駄だ。
譬え二人だったにしても人と人がいて初めてそこにできるものだ。
生きていくということを言うなら人も犬猫も昆虫も毒蛇も同じだ。
本来天地自然の間にそんなものを訴えるべき相手もない。
天与の権利などない。
天は人の上に人を作らずというようだが、動物の上にも人はいない。そもそも上の下のというそんな区別はない。
左側の人としゃべていると質問されて答えても、前の答えに対する区切りもなく矢継ぎ早に「じゃあこれはどうなの?」と来る。
そんな無礼な尋問を受けるような対応をされるおぼえはない。
そんな人間と話すことなどない。話はうちきる。
相手が一方的ならば、こちらも一方的に拒否する。
感謝のないところに暖かいこころもなければ、世の中に対する良きこころも生まれないと思っている。
だから嫌いだ。
如何に理屈があっていてもその人たちと合流するのは嫌だと思う。
するにしても反対も賛成も独りでする。
もちろん、反対することもあれば反対することもある。
だが、たとえばなんかの反対運動で意見は同じだとしても彼らに混ざり赤いハチマキなんかして「○○はやめろ~!」などとシュプレヒコールなど上げるのはまっぴらごめんだ。
赤いハチマキなんかだれがするか。気色悪い。
私は赤い思想のものではないのに反対という一点だけで一緒にされては困るのだ。
勿論やりたい人は勝手だ。
例えば私は原子力発電所は危険だと思う。だが駅前でハンターイ!と叫んでいるそんな仲間に入るのは断じておことわりだ。
まず、左も右もなくそういうデモ行進には一切加わらない。
意味がないとは言わない。
だが、それは私の知ったことじゃない。
私はやらない。それだけだ。
私には私の方法がある。