私の師匠の指導下で育ったある僧侶が祈願寺の住職となった。
師匠はこの人のため加行代も工面してあげたほどの応援ぶりだった。
それからややあって彼は大福生寺にあいさつに来たがみなれない女性と一緒だった。
彼が帰った後「あいつ、住職になったのに行もしないで先にオンナを作ったな。ダメだ!」と嚙んで捨てるように言った。
「寺に入れば草むしり、作務、勤行がまず第一だ。祈願寺の住職なら修行の姿が見えねば信者はついてこないものだ。それをまず先に女出入りがあるとは何事だ!あれはだめだ。本尊さんが許さないだろう。」ともいわれた。
先方も何となく師匠の下へ行きづらさを感じてか それきりになってしまった。
その後、私から注意もしたのだが「恋愛は自由だ」などといってとりあわない。
まあ、そこまでのつもりならもう私もそのことは何もいうまいと思った、
果たして師匠のいうとおりに、彼は寺院経営が行き詰まり、しかも病も得て気の毒なことに若くして亡くなった。
この方とは結構親しかった ともに行もした人なので 私もできる限りの応援はしてきたつもりなので、今でも非常に残念な思い出だ。
同時にこのことは私自身の行に対する態度の反面教師にもなった。
ああ、どこまでいっても胡坐をかいてはダメなのだなと思った。
行者はあとにも先にも行しかないものだ。
「すごろく」ではないので住職になれば上がりではないのだ。
一層精進しなくてはならない。