修験流の不思議な術を多く知っていましたし、聖天供のやりかたも変わっていました。
私の後輩なども本山で「お前らの一門は妖術を使うから怖いよな。」などといわれたそうです。・・・妖術なんてしませんけどね。
ようです・・・というのは、私は師匠の浴油の現場と云うのを直に目で見たことがありません。
いつも御簾の奥からかすかな真言らしい声と油の滴る音がするのみです。長いときで5時間くらいしておりました。
そして「この御真言はよく効くんだ。」などといっておりました。
真言に良し悪しがあるという考えは不遜かもしれません。
また人による縁が違うと云うのもあるでしょう。
本尊だってそうですよね。どれが一番はないけどその人の縁で本尊は決まってきます。
因みにわたしの弟子連中も皆、ほとんど本尊が私の寺と同じではありません。不動様、薬師様、愛染様、庚申様・・・など色々です。
師匠が7日間の祈祷が済んで内陣から出てきますと顔がひび割れて小さいシワが一杯できています。
祈願においては手を抜かないというより抜けない人でした。
相当あとになるまで御札の真言も全部、筆で書いていました。
それから「人型」と云う呪符は全部手書きでした。
「梵字は書いてこそだ。」というのです。そうでないと効き目が薄いというのです。
拙寺でも基本的には御札に入れる内符の梵字や人型は今でも書いています。
今のご住職が浴油を習いたての頃、習い立たてと云っても、比叡山で3年いて回峰行100日、常座三昧を90日やったうえ、浴油までには十一面供1,000座、華水供1000座おわってからですからそうとう修行はやりこんでいる訳なのですが、それでもその担当されているご祈祷を心配してか重ねて自分でも拝んでいたようです。
当時、「浴油の時間が変わらないからわかります。」と副住職(現住職)がいっておられました。
師匠は柔和な人でしたが、法に関してはとことん厳しかった。
天台の行者らしく「柔和質直者 即皆見我身」という法華経自我偈の1節を「柔和で正直な人のみが仏にあいまみえるのだ。しかし法に対しては不惜身命でなくてはいけない。」といって大切にされていました。