金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

お施餓鬼とイメージ力

今日はお施餓鬼です。可哀そうな餓鬼にご飯を上げてお経をあげます。
圧巻なのは五如来真言で、これを唱えると、餓鬼は貪りを捨て、きれいなもとの姿となり、針のように細いという喉も開いて成仏する。きわめて罪の重い者でも天界に行くということになっています。
これをイメージでやります。すると実際そのイメージに乗って成仏していく。
そんなのはただの思い込み
いいえ、そうではありません。
仏教では地獄、餓鬼、畜生は三悪道と云われ良くない境涯ですが、このうち肉体のないのは地獄、餓鬼です。この世界は肉体が無いので行者の観念に共鳴しやすい。
無論、体はありますが微細な存在です。
いわゆる霊体というやつでしょう。
仏教は唯物論でも唯心論でもなく物心二元論でその先は業(因果)論の世界観ですから、たとえば無色界と云うような所に行ってもわずかな物質はあると言います。
これはチベットでもそういうし、天台でも同じ。聞いたことないけど真言宗も同じではと思います。
さらに究極的には識によって万物は生まれますので、そういう観念が餓鬼に影響するのは不思議ではない話なのです。
私たち一門はこのお施餓鬼のもう少し手のこんだ「精霊供養」と云うのを一連の祈祷カリキュラムの最後の最後に授けられました。
通いの小僧でここまで6年間かかりました。
お施餓鬼なんて大体の宗派で誰でもやるので秘法でもなんでもないけど、本当に利かすのにはそれなりの観念力つまりしっかりとしたイメージが必要なのです。だから最後の最後で授かります。
考えればイメージの力で餓鬼をうえへ上げてしまうのですから容易ではない筈です。

実はこのイメージの力は生きている人にもききます。
嫌な人がとっつきやすい人になってとか、あの口うるさい上司が温厚になってとかイメージすればいいのです。
そんな馬鹿馬鹿しいと思うでしょう。
だからやらない。
やらないから解らないので、やればそれなりにわかります。
根本解決にまで至るかは解りませんが貴方のイメージ力を試してみるのも面白いかも。
御祈祷も言ってみれば全てこれイメージワークです。
唯識でいうようにこの世は究極的には観念でできていますからそれはそういうことがあっても少しも不思議じゃないのです。
施餓鬼との違いがあるとするなら、彼らは肉体があるのでその分簡単じゃないという点と施餓鬼は積極的に上に上がりたい、変わりたいと思う連中が集まるのでより効果的という点でしょうか。