金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

人とともに喜ぶ

昨日の夜は大空夢湧子先生のビジョン心理学のミニ講座で恵比寿にいってきました。テーマは「豊かさ」
以下はそのセミナーを終えて私が思うことです。

セミナーのなかで香港の大資産家のお話しが出ました。
この資産家の方が日本に来て講演をされた。
超大金持ちなんで、どんな格好で来るかと思えば大変ラフな格好で鞄も高級なものでもなんでもない、そこいらへんのものだったそうです。
そして講演を聞きに来た人にいっぱい色々なプレゼントをくれました。
この資産家の方はいつも胸のポケットにカードを入れています。
このカードには達成したい願望が書いてあります。
そこまでは良くある話ですよね。
願望実現ハウツーの初歩でしょう。

でも違うのはそこにはこれが達成したら、 「どこそこにこれこれこれこう云う寄付ができるとか、こういうものを社会的に提供できる」 と書いてあるのです。
つまりお金はそのために必要なのです。目的じゃない。
これはただのもの欲しいだけの願望達成などとは格段に大きい違いなのです。
これが彼の事業のモチベーションです。
そんな話は馬鹿馬鹿しいパフォーマンスだとか、そんなことを考えるくらいなら福祉業者や宗教者、ボランティアになればいいので商売するのはおかしいと思う人は不合格です。
そしてそういう考えが極端な人間はこういう人を「偽善者」とまで言うでしょう。
そういう人は失礼ながら考えが浅いとても浅はかな人です。
そして決して水準已上にならない人物です。
同時にそういう人の多くはモノで幸せになれると固く信じています。

彼はそうじゃない。社会や人に与えること
彼はそれを「喜び」としているのです。

最新の学問である「幸福学」では人間はお金でものを手に入れても幸せ感を感じるのは限界があるといいます。
たとえばアメリカで年収600万円くらい持っている人はものを手に入れても喜びはそんなに増大しないという結果があります。
この金額は国により違うとお思いますが構造は同じはずです。
この香港の資産家はその「喜び」を一番の報酬として受け取っているのです。
もう家も自動車も服飾品や調度品も物はいっぱいあるでしょう。
宝物があり過ぎて火に三度焼き捨てる毘沙門様のようなものです。
もうそういうものには興味が薄いのです。

人間として「喜びの共有」以上の幸福感はありません。
聖天様を歓喜天と云いますが本当の歓喜とはこれです。
よくセックスのことだと思っている人がいますが密教の教えではそうじゃない。
喜び喜ばすのが歓喜天の「歓喜」です。
考えてみてください。
たとえ恋人や友人と過ごしても少しも共有できる喜びがないならそれは極めて空虚なものになるでしょう。
人類最大の至福とは人と我とが共に歓ぶことです。
「金は天下の周り物」といいますが、これは「お金はそのうちやってくるので心配するな」というような感覚でいう場合が多いですね。
でもそうではなく周り物ですから、本当の意味で自分のモノじゃない。
つまりいくらあっても預り金なのです。
だからいくらあずかってもそれはいいのです。
100億円だろうが10兆円だろうが基本的に預かり金です。
だから、それを手に入れたら自分がサーヴィスするために使うのです。
サーヴィスはただでものやお金をプレゼントするのじゃなく、良いものを工夫して研究して世の中に手に入れやすい価格で提供することが社会経済のルールです。
困っている国や地域や被災者は別ですが、「ただ」と云うのは何も生みません。貨幣経済の否定です。
宗教だってタダじゃないですよ。
ずっとまえですが、まだ入門したての頃、師匠に「私は御祈祷をメシの種にするのは嫌なので、別に仕事を持って社会のためには無料奉仕にやっていきたいのです。」というナマイキな話をしたら
「ヘー。じゃあ、あんたはこれを片手間でやっていけると思っているかだね。
そんな他人様からお布施も頂けない、いい加減な事するならしない方がましだ。それはただのお遊びでしょう。」
だから「基本的にお金は頂く」
この教えは今もしっかり持っています。
困っている人を助けるといっても責任は責任です。

若いころ、困っている事業家さんにずっと催促なしの貸しでずうっと商売の祈祷していった話を師匠にしたら
「それは駄目だ。アンタもその人もかえって業を作るよ。だってずっと商売していけてるのだろう。だったら祈祷料位払わないと。それは信仰心があるといえないよ。」と云われました。
結局最後に会社は倒産したけど、娘や息子が大勢いたけど全部大学に通わせて悠々やってるのだから実際はどういうものだったのでしょうね。
だから私も生活保護者や困窮者でない限りお金はしっかり頂きます。
これも昔のことですがある占いの講習会で、知らない講習生から「私たち、母子家庭の人の占い相談のグループワークしています。ボランティアで来てもらえないでしょうか?」といわれましたが、無視でお答えしました。
「でも、母子家庭って大変なんですよ。困っているのよ~。」と重ねて言われました。「終いには男性には判らないかも知れないけど・・・。」とまで言われましたが、私は本当に困っているなら占いなんて必要ないと思います。
占いって理性や知性でわからない部分の選択っていうことですよね。まず本当に生活に困っていたら明日のパンのために働くことです。そんな選択はそれからです。
だから、本当に困窮していたら「祈り」は必要かも知れないけど「占い」なんていらないというのが私の持論です。
「困っているので無料で占いを見てくれません?」という人が電話でたまにいますが致しません。お断りです。
中には「余所は3000円なんですよ。何でおたくは一万円なの?変でしょ。もっと安くしなさいよ。」という抗議も。
「じゃあ3000円のとこ行けば?」3000円が悪いとは言えません。私より上手かもね。第一同じ占いしているのかどうかも判らないでしょうに…道理が判らない人間はどうもなりません。
「でもそこは遠いんです!」だって。私の知ったことじゃありません。
自分が困っているのを特別な権利のように言われても困ります。
でも御祈祷は無料ですることはあります。たとえば18日の護摩木供養がそれです。大般若の加持もしてます。ついでに法話も座禅も指導しております。

さきの大富豪だって商品を買いたたかれて笑っているわけは絶対ありませんよね。モノの値段は売る側で付けるもの。
なにかしらさしてこれを只でくださいと彼にいってもくれないと思います。
なぜかって?
その理由はどういうサーヴィスをするかは自分が決めるのです。
経済活動はしっかりして、その果実を還元するのがルールですから。
そしてお金は人と歓びをわかちあう最も良きツールなのです。
次回のミニ講座は下記の如し。良いヒントや気づきがもらえます。
興味のある方は行ってみて。ハネダのおすすめです。
次回のテーマは「喜びを受け取る」だそうです。



日 時:2015年11月6日(金) 19:00-21:00(受付18:55)

場 所:恵比寿備屋珈琲店 2階貴賓室 WEST(手前のお部屋)
     渋谷区恵比寿4-4-11 STビルSTビル2階
     電話 03-5488-1651
     http://binya-coffee.com/wp/shop/shop-298/

受講料:4,000円(飲み物代込)
     当日現金でお支払いください。

定 員:定員12名

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